蕪Log

同人サークル「蕪研究所(ブラボ)」だったり、日常のよしなしごとだったり。あらゆる意味で日記です。

清水真理個展Dolls Fantagic Circus@横浜人形の家 に行ってきました。

年末に向け仕事が立て込んでいて、天皇誕生日は出勤でした。

いろいろ映画を見ようと思っていたのですが見事にキャンセルになり、フラストレーションがたまっていたので、このクリスマスイブは人形展で心を洗うことにしました。

まずは清水真理先生の個展です。きらきらしたカップルがたむろする横浜みなとみらい地区で開催されていました。

shimizumari.jimdo.com

清水真理個展Dolls Fantagic Circus

お人形の印象

人形を一瞥すると、まずは表情の主体であるアイの部分が真っ先に目に入ります。

清水真理先生のお人形から受けたその印象は、驚きと、興味でした。

力強く見開かれたまぶたに、いっぱいの瞳がこぼれ落ちそうに収まっています。新鮮さを感じづいてよくよく眺めてみれば、その理由はすぐに分かりました。

彼女らの純真な目はアイホールに、白目を含んだアイを収める様式ではなく、石膏で形作られた白目の形の上に、瞳となるガラス玉を埋め込む形で作られていたのでした。するとちょうど人間の瞳がそうであるように、虹彩の部分が半球状に飛び出す格好になります。ふっくらとした造形と相まって、それが前述の、見る者に訴えかける純粋な視線を形作っていたのでした。

続いてきになったのが、お人形の「白さ」です。

素材を見ると、石塑で創られているようでした。美術の教室にある彫像のような、白く、近づいてみるとすこしかさかさした、荒れた地肌を人形は持っていました。

内圧とイミテーション

お人形を見る際の自己投影というバイアスを自覚しながらも、かの人形達から私は、自我の偽りと、抑圧に反攻する内圧を感じていました。

真っ白でひび割れた皮膚を持った人形の姿。それは時折見かける、厚化粧を帯びたマットな皮膚の印象とリンクします。

化粧とは社会に身を置く者の、礼節という名の鎧でもあり、自らを飾り立てる衣装であり、それが故に自らの本質を覆い隠す仮面のような側面を帯びます。

それに少女が、全身を覆われた姿からは、周囲の期待に対して応えるべく、おとなしく従順であることを強いられている抑圧を感じました。

しかし、その枷に唯一妨げられぬ器官があります。瞳です。

彼女らの瞳だけは、明確な意思を持って前に出ようとしているよう感じました。

今にもこぼれ落ちそうなほどに見開かれ、前をはっきりと見て。それは鎧に押し込められた自我の圧力が、瞳という唯一の出口から噴出しようとしているようでした。

一見すると少し驚かされるほどに大きな瞳。それが少女の形を持った彼女らのなし得る唯一の主張なのだと。人形は自ら動けぬ者という文脈を考慮すれば、ひとしおに彼女らが愛おしく思えました。

役割の皮を被るのに疲れたら是非

先生の人形の中には、トルソーの胸部、腹部を開き、そのなかに歯車やメルヘンな生き物たちで作り上げた内面を描き出すというシリーズが存在していました。

人形には、無色透明でただ人を映す者と、こちらの想いを引きだしてくれようとしてくれる者があります。

清水真理先生の人形は後者に感じられました。私は、社会性の皮を被って生きる社会人としての疲弊を託すことが出来ました。

また心の洗われるような思いを出来て、良かったと思います。

横浜人形の家で2月頃まで開催中です。入館料も300円とお手頃です。

この社会の荒波の中で、人に言えない疲れを抱えている方に、是非ともお勧めしたい展示でした。