アウトプット主義という暗い洞穴について
宣伝
カクヨムさんにて拙作”泪の君の愁雨”を更新中です。
隔日更新を目指しています。コンテストにも応募していますのでどうぞご一読頂きまして、評価やフォローなどをお願いします。
何でいきなり宣伝から入ったかというと、この話を書いている時……あるいは、物語を書いているとき全般に生じる、書き手としての致命的なゆがみの話をこれからするからです。今まさに、僕はこの洞穴に囚われています。
書いている間、物語が摂取できない病
物書きとしての致命的なゆがみというのは、つまりそういうことです。どうにもずっと物語を書き続けていると、読むよりも書く方が低カロリーで出来る様になってしまうようで、入力、つまり読書になかなか時間を割けなくなっています。
この根底にある思想が大変危険な物で、
「自分の描く物語こそ至上である」
という驕りであると考えます。そんなことはあり得ないのにね。書いているときはまるで少年時代に戻ったかのような万能感に襲われてしまうのです。
インプットを止めたら作家は死亡する(二つの意味で)
まず、世界が広がりません。内発的な動機で描かれた物語は、自身の中で完結してしまうので、人に読んで頂くために必要な普遍性を獲得し得ません。
それから、車輪の再開発を行ってしまう恐れがあります。これは致命的で、所謂「盗作」の謗りを免れません。SNS時代、あらゆる人間が作家の発信物を監視し、誰もが告発者になれる状況です。リスクヘッジしましょう。
インプットを習慣化するには?
このエントリーを振り返りとして有用な物にするには、インプットを習慣化する方法を提示しなければなりません。
……が、それが見つからないので今困っている状態です。
習慣化アプリの導入を検討するか、といった状態のモヤモヤした感じで、今日は締めたいと思います。