読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

蕪Log

同人サークル「蕪研究所(ブラボ)」だったり、日常のよしなしごとだったり。あらゆる意味で日記です。

Borderless Dolls ~ヒトガタの中の7ツの世界~ に行ってきました。

三寒四温の時期も終わり、ようやっと春めいた陽気が安定してきました。

春は芽吹きの季節、別れの後出会いのやってくる季節。新たに得た生を追い風に心機一転走り出す季節です。

躍動の時に合わせてなのか、人形の展示会もこの時期頻繁に催されています。その中の一つに一人形ファンとして観覧に行ってきました。

Borderless Dolls ~ヒトガタの中の7ツの世界~

Borderlessと言う言葉は、ことヒトガタという存在に組み合わさると、とても魅力的なフレーズになります。

私たちと同じ人の形をしながら、しかしある一線によって我々と全く分かたれたそれら。言うまでも無く、生命の有無によってです。

たとえその容姿が乳白色をした柔肌を備えているかのように見える少女人形であっても、もしもその躰に触れられる幸運があったとしたなら、彼女はきっと極めて静止した、冷たい感触で私たちの指を跳ね返すことでしょう。生命を持たぬ者の、強ばった肌です。ぶしつけな指を払いのけはしないでしょう。彼女らがその意思を持つことはないからです。

人形とヒトの境界。生命と非生命の境界。息のかかるような距離に座っていながら、彼我の間には千尋の谷よりも深い断絶があります。

このボーダーが、私の中では一番の興味だったので、そういったことを道中ぼんやり思いながらこの展覧会に足を運びました。

どの人形もとても素敵だったのですが、全部紹介していると紙面と時間がとても足りないので、会場で特に印象に残った作品を挙げて、感想をメモしていきます。

ひこばえ ~人形は動かない、と言う境界~

会場の入り口真正面に、古びた簡素なブランコに座っている人形です。吉田良先生の手になる彼女は、真っ赤な和服を着た、少し大人びた少女の人形です。

目の形、その開き具合の不均衡な様子。口も半開きで、あたかもブランコ遊戯の偶然の一瞬を切り取ったかのような造形で静止した人形でした。それだけでも大変美しいものです。

しかしその真価が見て取れるのは、この人形とブランコが、出入り口から吹き込む風によってまさに揺られたその瞬間です。

前述したとおり、この少女の造形はブランコ遊びの一瞬を切り取ったような顔立ちです。しかし切り取られているが故に、人形であるが故に、彼女はその表情のまま、ゆらゆらと風に包まれることもないままに静止しています。

ブランコ遊びをする少女が、ブランコが静止しているがために、人形という形に押し込められている。そうした印象を受ける作品。

では、そのブランコを揺らしてみたら。それも観覧する人の手に依らず、自然に、風の力を借りて――――あたかも彼女が遊びを楽しんでいるかのように、揺らすことが出来たとしたら。

その瞬間を目にすることが出来たのは幸運でしたし、幸せでした。彼女は余りにも軽々と、生の世界へと飛び込んできました。人形であると言うことをその瞬間、はっきりと忘れさせられました。楽しげな鼻歌が耳を掠めるほどに。

動きを持たぬはずの人形が、自発的に動いたかのように見せる。たったそのことだけで、人形は瞬間的に、観覧者の心情の上で命を得ることが出来ていました。入館そうそう、雷に打たれたような衝撃でした。

もっとも、その魔法は刹那の間しか持たず。彼女が人形であると言うことを私が思い出してしまったあとは、ただ和服の人形が揺れているだけ、の風景に戻ってしまいました。

その命の儚さを思うと、彼岸花を思わせる赤色をした和服の少女という彼女の装いも、決して漫然と決められた物では無かったのだなと思わされたのでした。

公式Twitterでも、ひこばえの座ったブランコを揺らす様子が投稿されていました。その様子も十分に魅力的ですが、この人形については是非会場で、その目で、風を纏う姿を見て頂きたい逸品でした。

Nova luna ~永遠性の解体~

陽月先生の手になるこちらの人形は洋風の顔立ちをした球体関節人形です。真っ白な腰丈の銀髪が寝台の上にばらりと投げ出され、その表情は天蓋を虚ろに見上げています。ネグリジェを薄く纏ったその透明な痩躯は腹部が大きく球体化され、盛り上がっています。腰はそのせいか、少しだけ浮き上がり躍動的です。細身の脚はすりあわせるように内股に寄せられ、投げ出されています。

このお人形、一つの躰のなかに五つの時間軸が交錯しているように感じられました。情事における、事前と、最中と、事後と、懐胎、そして無垢な少女としての時間です。

恥じらいと緊張を強く感じさせる、腿と膝をすりあわせる脚。絶頂に反り跳ね上がる腰。弛緩し脱力した表情。そして言うまでも無く、球体化を施され、少女のそれが持つ機能を強く投影するべく強調された腹部。それらが全く曇り一つ無い純白にあしらわれた無垢な人形の上で展開されているのでした。

人形の上に性の経過を投影すること。それによって人形との距離を解体しようという意気を感じました。

生を持たぬ冷たい人形の上に、命が生まれる情熱的な過程を再現する。切り取られた少女性という永遠に続く耽美な理想を性によって解体し、以て人形が持つ永遠性という無機質さを解体する。

懐胎という結果は紛れもなく人の営みです。それを人形がはらんでいるという矛盾。

奇しくも懐胎と解体は読みを同じくします。生命を連綿と繋ぐための営みが永遠性の解体に用いられているのが、とても面白かったと帰宅した今は思います。

無題 ~人形に意思を持たせる試み~

愛実先生の手になる人形達は一転、成熟した女性の執念を感じさせる艶やかで扇情的なものばかりです。

その中で、床面からトルソがこちらを見上げている無題の人形に、はっとさせられました。

造形は、等身大の女性の顔。日本人然とした黒髪ですが、相貌が異質です。まるでどす黒い情念がその内から食い破らんとしているかのように、青黒く染まった肌。その表面には妄執が絡みつくかのように、髪の毛のような黒い線が有機的に走っています。

遠目にも存在感のある人形で、近寄ってみてなるほどと思わされた人形でしたが、観察しているうちにひとつぎょっとさせられた気づきがありました。

真正面から彼女の怨嗟に満ちた顔をのぞき込んだときだけ、人形がこちらを睨み返すのです。よく見てみれば、人形の視線の真正面に立ったその時だけ、その紫色をした虹彩に瞳がにゅっと表れるのです。

女の情念については明るくないのですが、この仕組みには頷かされました。じっと観察し、こちらが意識を向けたときに、それに応える人形。シンプルですが、この上なく人形と人の境界を切り崩す一手だと思いました。

会期はあと一週間

このほかにも、と言うよりも展示されている全ての人形が、作家さんの抱える「境界」を超えようと工夫を凝らされていて、とても見応えのある人形展でした。三浦悦子先生の作品はもちろんのこと、腹部をガラス玉に置き換えて、その中に物を入れた人形など、とても示唆的です。

アプローチとしては人形の方が歩み寄ってきてくれているはずなのですが、こちらも一歩向こうに足を踏み出しているかのような、そういった浮揚感に終始包まれる幻想的な展示でした。

お人形好きの方は是非とも。そうでない方はこの機会に。是非足を運んでいただきたいです。

展覧会情報

pygma.exblog.jp

会場

FEI ART MUSEUM YOKOHAMA

  〒221-0835 横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F

  ℡:045-411-5031 FAX:045-411-5032 

会期

4月11日~4月28日 10:00~19:00 月曜休廊(最終日は17時まで )