蕪Log

同人サークル「蕪研究所(ブラボ)」だったり、日常のよしなしごとだったり。あらゆる意味で日記です。

初見のアニメを二話から見ると創作の役に立つかも知れない話

仕事が終わって帰宅するとおおむね11時頃になり、自由な時間が大体一時間ほどある計算になります。

少しでも有意義に過ごそうと、録画して貯めておいたアニメを見ようと思い立ちました。

そこで、創作についてのちょっとした気づきがあったので、メモを残しておきます。

必要な導入を丁寧に行わないと、商業作品ですら意味の分からないポエム集になる、と言うことを身を以て知ったというエントリーです。

その物語、二話から始まっていないか?

2013年放映のアニメ「境界の彼方」がDVDにダビングした状態で残っていたので、それを再生してみましたが、始まってすぐにどうも様子がおかしいぞと思いました。

開幕から、ピンク色のメガネ娘が、真紅の刃を持って、包帯のようなもので体が出来た敵と戦っています。

部屋でまごついている男の子はやけに訳知り顔です。敵のことを平然と妖夢と呼び、目を狙えと弱点まで指摘します。

女の子はそれを何の疑いもなく了承し、実行に映しますが、突然のカットインと葛藤が描かれ、敵を倒すことを何度も躊躇います。

もどかしい展開がいくらか繰り返され、虚しい男の子の呼びかけを何度も経て、女の子がやっとこさ敵を倒したと思ったら、チカラを使った後は危険なので近寄るなと言う。男の子はそれに対し、不死身だから大丈夫、と言います。

だめだ、訳分からん……

と困惑すること数分、ことの顛末は、第一話を録画し忘れたままほっぽっていて、見るまで忘れていたということでした。リスか何かかな私は。

……と第二話を見終わって感じたのが、避けるべき説明と必要な導入の違いです。

よく、「物語の冒頭から説明だらけだと萎える。物語に引き込む描写を詰め込むべき」と言われます。

しかしそれが、単に用語の説明を省き、たださも当然のように流すと言うことではないのだと、はっきりと分かった瞬間です。置いてけぼりにされたことをはっきりと感じました。

お時間のある方は、レンタルビデオ店で適当なアニメの1巻を借りてきて、二話から見てみると、驚くほど反面教師になってくれると思います。目が覚めた思いでした。

悪例を挙げて自らを矯めるというのは、ケーススタディとなってしまいネガティブですが、それでも自戒の指針として、とても役立ちます。

それはそれとして栗山さんは愛らしい

ちなみに境界の彼方そのものは、その後の展開で物語要素がきちんと補完されてきたので、台詞回しが何となくきざっぽい感じを受けつつも楽しめています。仕事上がりの余暇として、これからしばらく付き合うことになりそうです。

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