蕪Log

同人サークル「蕪研究所(ブラボ)」だったり、日常のよしなしごとだったり。あらゆる意味で日記です。

COMIC1で売り子をやった話

私事ですが、IT企業を辞めることにしました。それについては後日改めて記事にします。

5月病のへたりで重大な決断を下してしまったような気がするのですが、まぁ後悔はありません。また良いご縁があるでしょう。

それはそれとして、GW中にCOMIC1で売り子をしてきました。ビッグサイトで催される大規模な同人誌即売会です。

今日はその体験と、「売れるサークル」の中の人になってみて思った同人誌即売会会場の気づきと、同人誌を捌くためにできることの気づきを書き記しておこうと思います。

COMIC1とは

まずはCOMIC1について。

オールジャンルですが、頒布物の内容で言うと、圧倒的に男性向けの本が多い即売会になります。コミケの三日目を切り出したようなイベントだと思って頂ければイメージが湧くかと思います。

サークル参加者の中にはプロも多く、コミケでは壁サークルだけどCOMIC1では島中……というような状態も起こりえます。頒布者としては高い周りのレベルの中でどう自分をプロモーションしていくかという戦略が必要とされる場でありました。

やったこと

……前置き終わり。

サークルに入れてくれた友人は、↑で書いたプロモーションを全てTwitterやPixivによる広報で済ませていたので、会場で特にそれを行う必要はありませんでした。いらっしゃる参加者を捌くだけ……しかしこれが、章タイトルで触れた筋トレ、即ちスクワットに直結するのです。

要するに、頒布物を渡すとき、お金を受け取るとき、立ち上がらなければならないのですが、余りに参加者が頻繁にやってくるので、座っては立ち、座っては立ち……というのを繰り返す羽目になりました。

歴戦の友人曰く、「コミケになると椅子は使わない」とのこと。下手に座ろうとすると逆に疲れてしまうそうです。なるほど……これが大手サークルの"力"……。

二次創作はキャラクターと表紙がメイン

頒布物の視点からすると岡目八目の状態で参加したイベントでしたが、少々気まずい気づきもありました。

それは、「作品を手に取ってくれた参加者のほとんどが表紙買い、または作家買い」という点です。この気づきは逆説的に「同人誌の中を覗いた人のほぼ全員がそのまま置いて去った」ことから導かれました。

キャラクター買いする人の気持ちはよく分かります。今回参加したジャンルには多数のキャラクターがいて、友人が書いたキャラクターの同人誌は割と少ない方になります。オアシスに水を求めるようなものです。脊髄で購入するのは僕も経験がありますし、悪いことでは無いと思います。

ただ、頒布物の中身を見てぱたんと置かれるのは、作家からするとつらいものがあります。

それについて友人に尋ねてみると、「うん、今日はこんなものかなと思ってた」と冷静な意見。あまり凹んだ様子もなく、泰然としていました。見習いたい。

とはいえ、中身が良くないことは気にしていたようで、暇な時間で男二人、顔をつきあわせて「どうやったらエ□くなるか」を議論しました。結論は線が細くてラフっぽく見えるって所に落ち着きました。

作家というブランド

筋肉痛になるほどスクワットをするくらいに、彼のスペースには人が訪れました。

それはひとえに、「スペースを訪れる動機づけ」があるからです。

AIDMAに基づいて考えると、AIまでをTwitter知名度による拡散力でカバーし、DMをpixivのサンプルで満足させ、実際に即売会へ足を運ばせるというActionにつなげているのでしょう。

つまり、同人誌をたくさん手に取って貰おうと思った時には、拡散力の端緒になる知名度を稼ぐのが手っ取り早いと言うことになります。

それが簡単にできたら苦労はしない。 ただ、やれること――というより、やってはいけないこと――はあって、以下の三点だと思っています。

・ネガツイをしない

・個人の主義主張を否定しない

・人の葛藤に勝手に踏み込まない

……あれ、普段の人間関係とあんまり変わらない。

まぁ、今後気をつけていきます。

例大祭

その後、博麗神社例大祭でも売り子をさせていただきました。

COMIC1の彼とは少し違う、「少部数だけど良く捌けるサークル」であったので、また新しい気づきがありました。それについてはまたいつか書きたいと思っています。

ずいぶん前に作家と呑んだ話

GW中の話は楽しかった日々が過ぎ去ったあとに思い出して、辛い日々の糧にしたいのでいったん置いておいて。

ちょっと前に、とある作家さんとお話をしたのを思い出したので、その会話で得たことをメモ書き程度に残しておこうと思います。

結論から言うと、その作家さんとは「作家としてのありよう」が正反対で、お互いにそれを納得して終わりました。

僕は未だアマチュア作家です。対して先方はプロとして何冊も本を出していらっしゃいます。そのことを念頭に置いて以下を読んでいただければ幸いです。

1.物語の着想はどこから来るか?

物語を書きはじめるとき、必ず、切欠があります。これを書きたいと思う切欠、物語の端緒、原点が。

それを探す方法から異なっていました。

作家さんの方は、「外」を見ていました。

例示すると、目が見えないというディスオーダーがある。ではこれを(不謹慎ですが)面白くするにはどうしたらよいか。もう一段階掘り下げてしまうと作家が特定されてしまうので掘り下げられませんが、こういう感じです。

この世にある出来事を掘っていく

それが作家さんのやり方でした。

対して僕のやり方は、「モチーフ」を扱うことでした。

拙作「Illumina」では、「人形」というモチーフを扱おうと先に決め打ちして、そこへ当てはめられる葛藤、心情を埋めていくという手法を採っていました。

物語中にありそうな心情を妄想していく

これが僕のやり方でした。

2.物語の展開はどのように決定するか?

作家さんのやり方は、「テーマから枝を張るように決定する」ことでした。

例えば……ディスオーダーを持っている主人公がいたら、それをサポートする誰かがいる。それ以外にも交友関係があって、そしてそれぞれがきちんと課題と葛藤を持っている。ではその課題と葛藤を解消するためにはどういう出来事が必要か……

書いてみれば当たり前のことなのですが、そういうやり方をしていたことに、啓蒙されたという自分がいました。

上記の方法をマスターしていれば、物語はどこからでも書き始められます。

対して僕は、「先頭からしか書けない」タイプです。

物語のテーマとなる一文を最初に提示して、そこからキャラクターの思考をある程度コントロールしながらもそれに任せて物語を展開させ、要所要所のキーポイントとなる出来事に着地させていくスタイルです。

なので、「キャラの気持ちが書いてみないと分からない」という致命的な欠点を抱えています。

3.何処まで計算するか? という違い。

上記をまとめると、プロの作家さんは、書き始める前に「尋常じゃない量の計算」をしていることが分かります。

対して僕は、キャラの役割だけ決めたら、あとは結構場当たり的に書いていることが分かります。

ここまで読んでいただいてお分かりかも知れませんが、これが、僕がプロとアマの分水嶺だと考えている部分です。

どれだけ、計算して物語をコントロールするか。

キャラが勝手に動いた、なんて言うのは、100%アンダーコントロールな物語を書いてなお発生するから面白いのです。

それ以外の場合においては、考慮不足です。プロットか、キャラ設定が足りません。

とはいえ

今から執筆スタイルを変えるのは難しいので、しばらくはこの感じで行こうと思っています。

お世辞か本音か、「今のスタイルを無理矢理変えようとすると良さが潰れる」「近いうちにデビューするだろう」というお言葉も頂きました。

ひとまず、それを信じて執筆活動にいそしもうと思いました。

ゴスロリ博物館(原宿会場)に行ってきました。

4/30、翌日に出勤を控えエネルギーと文化が枯渇気味。

COMIC1の売り子として参加させていただいて、創作者側のパワーを頂こうとしても上手くいかず。

それで、なにか感性にプラスになる物を何か……とおもって、前々から気になっていた「ゴスロリ博物館」という展示に行ってきました。

ゴスロリ博物館とは

ゴスロリ発祥から30年間の、その当時ゴスロリと呼ばれていた服装を集めた展示会です。

クラウドファンディングによって資金調達が行われ、大成功を収め、今回原宿での開催となりました。

また、11月頃には大阪での開催も予定されています。

公式Webページがないのが残念極まりない……

readyfor.jp

展示内容(掲載許可を得ています)

ゴスロリ」と呼ばれていたお洋服がマネキンに着せられて陳列されていました。

1.1980年代はどこかヴィクトリアンな感じを思わせるシックな物。 f:id:bu-labo:20180503081121j:plain

2.そうかと思えばメイドさんのような物もあり…… f:id:bu-labo:20180503081205j:plain

3.修道女を思わせる衣装もありました。 f:id:bu-labo:20180503081629j:plain

4.「ゴシックロリータ」と言うテーマとは一見不釣り合いな爽やか系の衣装もあり。 f:id:bu-labo:20180503081158j:plain

5.我々(オタク男子)の思うゴスロリ風衣装は随分後半になってから登場したようです。(2000年代) f:id:bu-labo:20180503081226j:plain

感想というか啓蒙というか

展覧会の案内人である瑠璃さん 瑠璃@ゴスロリ博物館 (@lapis_child) | Twitter

のお友達から、さまざま「ゴスロリ」の文化についてお話を伺うことができました。(お話が濃密すぎてお名前忘れた……申し訳ありません。)

結論から言うと、「ゴスロリ」と一口でまとめるにはその精神性があまりに多様すぎて、まずは個別の服に対する回答になってしまいます。そのご、弱輩の知識によって総括を行います。

メイド服調の服を着ることの精神性とは?(2.)

これは男性の側からすると疑問に思うところです。可愛らしいし嗜虐心をそそるのだけど打ち消し線で示した部分が、そのまま女性にとっては嫌忌したい感情なのではないかと思っていたからです。今風に言うと#Metoo 案件ですね。

ただ、主催の意見を求めてみると、必ずしもそうでは無いことが分かりました。

メイドというのは、給仕する立場です。それはお姫様や女主人と言った物語の主流ではなく、傍流にたち「彼女らに仕える」存在であると言うことです。メイド服を好むゴスロリさんたちは、そういう精神性や立ち位置を身に纏いたいという意思があるようです。

水色のナース服は何者? (4.)

白黒、落ち着いた古風な色合いのなかでひときわ異色を放つ、ライトな水色のワンピース。

これもゴスロリなんですか? と尋ねたとき、今日一番の啓きを得ました。

胸元の十字マークに注目して下さい。これはクロス(十字架)ではなく、医療行為を示すサインだったのです。

医療行為と言えば、傷を切り開き、鮮血の中から患部を取り出す非常に熱烈で鮮烈な、痛みを伴う救済の行為です。それを敢えて宝飾で美しい物に飾り立て、水色という対局の色彩で身に纏うという……アンバランスさ、踏み込めば倒錯したデザイン。

そういうものだったということがおたずねしてみて分かりました。

肉を切れば血が出て赤くなる。ならばこの白いクロスはきっと、心を切るための物なのでしょう。

その発想はなかった……というのが正直な感想です。デザイナーさんってすごいし、それを敏感に察知してファッションに取り入れられる女子ってすごいと思いました。

全体を通して

写真を見返してみるに、発足当初のゴスロリについては、「ゴシック様式への回帰」への欲求が強い印象を受けました。

それが時代が下るにつれ、女性向けブランドとしての地位を確立していく内に、「女性の感じる痛み」を徐々に吸収する過程で、彼女らが仮託しやすいモチーフを色々と取り入れていく結果になったのではないかと推測します。

純白のドレス風、または修道女といったモチーフは、そのまま清廉さ・潔白さを示し、世俗の穢れからの離脱を嘱望しているように見えます。

一方でメイド服のような生活に根ざした物は、「私は傍流で良い」という諦めによるものか、それとも「灰かぶり」を意識した野心の表れなのか……そのあたりは踏み込んで聞けませんでしたが、ともあれこの時点で、モチーフに対して託す精神性の違いが見えてきます。

女性という性別に対する多様性が認められた……というよりも、女性が意思発信をできるようになったということも少し影響しているのかな、という印象がありました。もっとも、およそゴスロリのような原宿系のファッションというのは、あらゆる抑圧に対するカウンターとして生まれた物だと認識しているので、この一文は蛇足かも知れません。

まとめ

たかが服の展示と侮るなかれ……聞いてみたら女性が8割だそうですが、男子こそ行くべき展示です。大変学びの多い物でした。創作にも生かしていきたいと思います。

次回開催は大阪だそうですので、気になる方は主催のTwitterをチェックしてみて下さいね。

瑠璃@ゴスロリ博物館 (@lapis_child) | Twitter

余談

当時のV系のライブハウスには、ゴス系の衣装を着て 応援に行く女子がたくさんいたそうです。

あのひらひらの衣装で、シャウトやサインを作ったりしたんでしょうか。見てみたい気持ちもあり、お洋服が裂けそうで怖い気持ちもあります。